勉強とは必要な情報を取得するために行うことである
「勉強とは必要な情報を取得するために行うことである」
この本に書かれていた言葉だ。
現代社会では、ありとあらゆる情報がスマホやpcから取得できる。
いわゆる情報過多である。
ここで重要になってくるのが、どの情報が必要か?不必要か?正しいか、正しくないか?
ということである。
ひたすら暗記をし、知識を得ることの価値はなくなってきている。
知りたいことがあればグーグルで検索すればよいだけなのである。
グーグルは大き知識の箱なようなもので、重要なのはその箱の中からほしいものを効率的に取得する方法を学ぶことである。
いまやググり力は一つのabilityなのである。
教育先進国と言われている、フィンランドではこれと似たような(時代に合った)ものになっている。
子供に九九を覚えさせないのである。その代わりに電卓を使わせる。
もうお気づきの方もいると思うが、この二つの共通点は「覚えること」ではなく
「道具の使い方を学ぶこと」なのである。
ただの思考停止の暗記の時代は終わった。効率的に道具の使い方を覚えて、人一倍、有意義な情報を吸収しようではないか。
「ストックデールの逆説」~楽観主義者と現実を直視しないことは違う~
「ストックデールの逆説」はご存じだろうか?
詳しくは↑のwikiを見るといい。
簡単にいうとストックデールは捕虜になり8年の時を経て、帰還したのである。
自分は助かるという確信を持っていた。
しかし、ストックデールが他の捕虜と違っていたのは「現実を直視していた」ことである。
基本的に人々は自分に不利益を被る現実を見ようとしない。
これは仕事の場でも、健康に関してもそうだ。自分の病気を知るのが嫌で病院に行こうとせず、気づいた時には手遅れになっている。
現実を見ずにいかにPDCAを回すことができようか?
ただ、現実をみて石橋をたたいて渡れと言っているわけではない。
自分の将来叶えたい夢に確信を持ちそれに加え、現実を直視し、次の手段を考えるのだ。
嫌な現実を知る。これはどの人にとってもつらいことだろう。
圧倒的大多数はできていない。自分の都合の良い現実だけ見ていれば人生は楽である。
自分が嫌だと思ったことは大抵他人も嫌なのである。ただ、それに価値があるのは明白である。
嫌なことほど受け入れるべきで、聞きたくないことほど聞くべきで。
最も言いにくいことほど、言うべきことなのである。
これを意識するのとしないのでは天と地の差もある。
楽な人生を歩みたいのか、楽しい人生を歩みたいのか。
この2つは似ているようで、大きな差がある。
楽しい人生、成功を収めたいのであればすべてを受け入れ、考え、そして行動するしかない。
確証バイアスと通じるところもあるが、人は自分の好きな情報だけ受け入れる傾向にある。
この本質を理解したうえで、嫌いな情報を受け入れる姿勢を持つことが大切なのだ。